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【路線バス探訪】横浜市交通局・18系統

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18系統(矢向線)は、鶴見駅前からを市場・尻手を経由し、矢向に至る路線として、昭和24年に開設された系統です。 当初は鶴見駅前を出ると現在の16系統のルートを進み、市場バス停の先を左折し京急線の踏切を渡り、熊野神社前に至る経路とされていました。踏切を二度渡ることによって定時性確保に課題が出たのか、昭和29年に金剛寺前経由とされたのち、終点を矢向駅前に延伸。更に営業所への出入庫も兼ねて起点側も鶴見車庫前(現、生麦地区センター前)に延伸され、現在に近い路線となりました。昭和56年に現在の鶴見営業所に移管されると、起点は生麦まで再延伸されています。 本系統は利用客の減少を踏まえ、大規模再編成において全路線を廃止する方針でしたが、生活交通バス路線に指定されたことで継続運行がなされ、市の一般会計から補助金を受けることで赤字分を補てんしています。かつては江ヶ崎を経由する路線も存在しましたが、72系統が臨港グリーンバス(現、臨港バス)へ移譲された平成19年に運命を共にし、江ケ崎町から市交は撤退しました。道路狭あいのため長きに渡り中型車で運行されているほか、平成15年〜平成28年は当時在籍した小型車での運行も見られました。 18C  生麦~鶴見駅前~元宮~矢向駅前 18D  鶴見駅前~元宮~矢向駅前 営業係数:187.0 (令和5年度) ▲鶴見上町~金剛寺前 鶴見川に架かるこの鶴見川橋は河川改修に併せて、平成9年にこのアーチ橋に架け替えられました。 ▲市場小学校前 背後には大規模マンション群となるヨコハマオールパークスが広がりますが、平成14年まで当地には日野車体工業横浜工場がありました。つまり横市交の日野車は長きに渡りいわば地産地消をしていたことになり、同社製車両を指定していた営業所が多かったのはこの縁なのかも知れません。 ▲矢向三丁目 JR南武線尻手駅を過ぎ、この辺りは主にJR横須賀線が使用する品鶴線と並走します。 ▲矢向駅前 JR南武線で唯一横浜市内に所在する駅で、その由縁もあってか周囲は臨港バスが幅を利かせる中、今日に至るまで市交も路線を展開しています。駅前のロータリーは非常に狭く、中型車が折り返すのでいっぱいいっぱいです。

【路線バス探訪】横浜市交通局・86系統

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86系統(生麦線)は横浜駅前から生麦を経由し、鶴見駅前に至る路線として、昭和41年に開設された市電3系統の代替路線のひとつです。運行開始の翌年には生麦~鶴見駅前が廃止され現在のルートとなりますが、一時は宝町を大回りする経路も存在しました。 時代が進むにつれ本数は減少され、今日では7・ 48系統 の出入庫系統として平日と土曜の数便のみが設定されており、休日ダイヤでは運行がありません。令和3年のダイヤ改正で、土曜の往路に限り新高島駅前経由に変更されています。 86A  横浜駅前(→洲崎神社前)~入江橋~生麦 86B  横浜駅前→新高島駅前→ 入江橋→ 生麦 (土曜夕1便のみ) 営業係数:327.6 (令和5年度) ▲洲崎神社前~神奈川公園前 神奈川公園前までは48系統と経路を共にし、そこそこバス運行のある区間です。 ▲新高島駅前 かつてあかいくつMルート(令和2年廃止)も通ったことから、広告付き上屋を備える立派なバス停ですが、記事執筆時点でここにバスが来るのは週1日1本の本系統のみ。当駅周辺は横浜駅から徒歩圏なので、路線バスの需要は低いのでしょう。以上を踏まえると、広告付き上屋の維持のために経由させている感があります。 なおバス停こそはありませんが、反対側は89・109・168系統に加えベイサイドブルーも通ります。 ▲神奈川警察署前~東神奈川駅入口 令和5年に世間を騒がせたビッグモーターはWECARSに装いを改め、この東神奈川店には同社本社機能の一部が入ります。 ▲生麦 滝頭と並び、市電時代の電停名を継承した営業所最寄りのバス停名です。生麦始発は18・19・ 181系統 にもありますが、横浜駅方向に出庫するのは本系統のみです。 元々はこの東側(現在の生麦地区センター)に鶴見車庫前バス停、そして鶴見営業所(初代)がありましたが、手狭になったことから昭和56年に現在の港北営業所に移転しました。現在の鶴見営業所(2代目)はこの地で昭和28年ごろに市電生麦車庫と併存する形で生麦詰所からスタートし、派出所、営業所と格上げしたのち、港北営業所移転に際してここが鶴見営業所を冠するようになりました。

【路線バス探訪】横浜市交通局・128系統

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128系統(アイランドガーデン線)は、鶴見駅前から汐鶴橋を経由し、ヨコハマアイランドガーデンに至る路線として平成16年に開設された系統です。平成13年に閉園した大型屋内温水プール施設のワイルドブルーヨコハマの跡地に建てられた、南国リゾートをイメージしたマンション「ヨコハマアイランドガーデン」への住民に向けたアクセス路線となっており、そのマンション名がそのまま終点バス停名に起用されました。 同マンションと鶴見駅前のアクセスは、本系統に加え臨港バスが芦穂橋回りでアイランドガーデン線(鶴09系統)を運行しており、営業エリアで棲み分けを図った格好となります。但し、同路線が曜日を問わず終日毎時2本の運行であるのに対し、本系統は平日ラッシュ時は毎時5、6本まで増発されるダイヤを踏まえると需要と輸送力の高さでは市交に分があり、営業係数の低さにも表れています。 128A  鶴見駅前~汐鶴橋~ヨコハマアイランドガーデン 営業係数: 56.9 (令和5年度) ▲汐鶴橋~向井町1丁目 鶴見川に架かる汐鶴橋を渡ります。輸出用なのか、左ハンドルの三菱ふそう・キャンターが多数走っていました。 ▲向井町2丁目~向井町3丁目 汐鶴橋を渡ってすぐ左折すると、向井町の住宅地を進んでいきます。 ▲京三製作所前 日本信号、大同信号とともに三大信号会社の一角に立つメーカーで、この本社周辺の交通信号機はしっかり京三製となっており抜かりありません。 ▲ヨコハマアイランドガーデン 大型バスの折り返しに対応したロータリーを備えますが、設備としては非常に簡素でひっそりとした佇まいです。 ここまで来ると市境が間近に迫っており、バス停横の緑地を少し歩くと川崎市川崎区に突入します。

【路線バス探訪】横浜市交通局・204系統

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204系統(浅間町車庫線)は、横浜駅西口から浅間町車庫前に至る路線として、平成29年に201・202系統から独立した系統です。なお、この系統番号はかつて上大岡駅前~吉原~上永谷駅~平戸~東戸塚駅前で使用されており、2代目となります。 その終点からイメージされる通り出入庫路線となりますが、往復ともに同一経路にも関わらず系統番号が異なっていたこと、出入庫路線としての役割を明確化させる狙いがあったものと考えられます。 204A  横浜駅西口~岡野町~浅間町車庫前 営業係数:118.1 (令和5年度) ▲横浜駅西口 観光地へ向かう路線も多い横浜駅前(東口)とは対照的に、民営を含め専ら住宅地に向かう路線が発着します。 ▲横浜駅西口~岡野町 南幸のビル街を進んでいきます。 ▲岡野町~浅間下 背後には横浜ランドマークタワーを臨みます。 ▲浅間町車庫前 市交がバス事業を開始した昭和3年から存在する最古の営業所で、100年近くの歴史があります。 敷地の東側には西スポーツセンターが平成9年にしゅん工し、その1階部分を営業所の事務所として使用しています。

【路線バス探訪】横浜市交通局・87系統

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87系統(市民病院線)は、横浜駅西口から市民病院を経由し、再度横浜駅西口に至る循環路線として昭和59年に開設された系統です。なおこの系統番号は、かつて長津田駅前~田奈駅~神前橋~中谷都~鴨志田団地~桐蔭学園入口~市が尾駅~川和町で使用されており、2代目となります。 市民病院が移転した令和2年に若干のルート変更がなされましたが、大枠は運行開始当初から変わっていません。それまでは市民病院を出ると市民病院入口(現、三ツ沢公園自由広場)を通り、そのまま来た経路を戻るルートも日中帯と平日夜に設定されていましたが、現在は松本を経由するパターンのみとされています。 87E  横浜駅西口→市民病院→松本→横浜駅西口 営業係数: 94.3 (令和5年度) ▲三ツ沢公園桜山~三ツ沢西町(その1) かつて市民病院があった場所で、令和2年の移転後はバス停名も三ツ沢公園桜山に改めました。記事執筆時点で建物の解体は概ね完了し、更地が広がっています。 ▲三ツ沢公園桜山~三ツ沢西町(その2) この区間は、上にまたぐ第三京浜の保土ケ谷インターチェンジがある関係で距離が長くなっています。本系統用の岡沢下バス停が設置できれば利便性は高まりそうにも思えますが。 ▲三ツ沢上町駅前~三ツ沢小学校前 直下を市営地下鉄ブルーラインが通っており、終点の横浜駅西口までほぼ並行することになります。 ▲泉町 意図せず上と同じ構図になってしまいました。横浜新道をそれて、ここを過ぎると写真左手から34系統も合流します。 経路が重複する横浜駅西口~市民病院は 34 ・ 88系統 を、鶴屋町3丁目~横浜駅西口は 39系統 も併せてご覧ください。

【路線バス探訪】横浜市交通局・59系統

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59系統(浦島線)は、横浜駅西口から浦島丘を経由し、綱島駅前に至る路線として昭和37年に開設された系統です。当初は保土ケ谷の所管で、開設時から東急バス川崎営業所(平成22年に閉鎖)と共同運行を行っており、翌年に日吉営業所が開設されるとそちらに移管。市交も程なくして現在の港北に移管されます。その後、バス事業の分社化を控えた平成3年に東急が撤退。このタイミングで、本系統をベースに新横浜駅前発着としていた80系統(初代)も廃止され、残った市交側も所管を浅間町に移しています。 令和5年のダイヤ改正にて、手狭で誘導員を要した綱島駅高架下のスイッチバック式バスのりばに代わり、新綱島駅の開業後に整備されたバスのりばに移転され、新綱島駅が終点となりました。 59D  横浜駅西口~浦島丘~大豆戸交差点~新綱島駅 59B  横浜駅西口~浦島丘~大豆戸交差点 (往路は夜1便、復路は朝1便のみ) 営業係数:134.9 (令和5年度) ▲仲手原アパート前 綱島街道に入るとアップダウンを繰り返します。 ▲菊名南町~港北小学校前 この辺りは綱島街道が区境となっており、道路を挟んだ左側が港北区、右側が神奈川区となります。 更に当地はセブン-イレブン、デニーズ、ヨークマートが集積しており、ちょっとしたセブン&アイ村が形成されています。 ▲菊名記念病院前~菊名駅前 その名の割には、菊名駅から少し歩いた綱島街道沿いにバス停があるのに対し、右に見切れている臨港バスは駅東口の階段を下りた目の前にバス停があります。 ▲熊野神社入口 この辺りは、環状2号線に出る交通量の多さから混雑します。 経路が重複する横浜駅西口~鶴屋町3丁目は 39系統 を、大綱橋~新綱島駅は 13系統 も併せてご覧ください。

【路線バス探訪】横浜市交通局・29系統

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29系統(鶴見線)は、長者町5丁目から桜木町駅前、横浜駅前を経由し鶴見駅西口に至る路線として、昭和26年に開設された系統です。 当時は長者町5丁目が横浜の中心街で付近に折返場も設けられ、ここから長者町1丁目、花園橋(現、横浜スタジアム前)、日本大通(現、日本大通り駅県庁前)と反時計回りをしたのち桜木町方面に至るルートを走行していました。その後、起点が浦舟町(この時点で横浜駅前~鶴見駅西口便も運行)、滝頭となり路線延長を重ねましたが、効率化を図ったのか昭和41年に県庁前発着に、更に昭和45年には横浜駅西口発着に短縮されました。そごう横浜店の1階部にあたる横浜駅東口バスターミナルが完成した昭和60年に横浜駅前発着に戻り、現在の路線に至ります。 今日では経路の大部分が重複する7系統の区間便としての意味合いが強く(営業キロは900mしか変わりませんが)、同じ運用ダイヤを組むほか並行区間では同系統とダイヤ調整もなされています。 29A  横浜駅前~東寺尾5丁目~鶴見駅前 29B  子安小学校入口←東寺尾5丁目←鶴見駅前 (平日夜1便のみ) 営業係数:109.6 (令和5年度) ▲青木橋 バス車内の案内広告放送でもお馴染みですが、後ろに本覺寺を望みます。 ▲入江1丁目~子安小学校入口 第二京浜とも呼ばれる国道1号線を進みます。 ▲東寺尾5丁目 従来いすゞ車指定だった鶴見は平成14年度に当時の港北NTと一部車両をトレードし、日産ディーゼル車が配置されて以来、平成22年には西工UAが、平成29年以降は西工RA(写真)もそれぞれ転入し、今日に至るまで異色ともいえる車両配置が続いています。 ▲二本木~東寺尾陸橋下 ここの陸橋は背後の響橋をさしており、写りこそはしませんでしたが臨港バスがひっきりなしに行き来する同社ドル箱の区間です。 経路が重複する下末吉国道際~鶴見駅前は、 155系統 も併せてご覧ください。

【路線バス探訪】横浜市交通局・155系統

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155系統(東部病院線)は鶴見駅前から森永工場前を経由し、東部病院に至る路線として、同病院が開院した平成19年に開設された系統です。同院へのアクセスとしては川崎駅からは主に臨港バスが担っていますが、営業エリアの絡みもあるのか鶴見駅からは市交が主体となって担うこととなり、今日に至ります。 13・29系統の区間便としての位置づけで、運行ダイヤも同系統に内包されていますが、片や本数が多いこともあり並行区間での時刻調整まではなされていません。当初は鶴見が所管しましたが、令和4年のダイヤ改正で港北との共管路線となりました。 155A  鶴見駅前~森永工場前~東部病院 (往路は平日朝のみ、復路は平日夕のみ) 155B  鶴見駅前→森永工場前 → 東部病院 → 森永工場前 → 鶴見駅前 営業係数:108.6 (令和5年度) ▲鶴見駅前~鶴見神社前 本系統のほか13・29系統は鶴見駅前を出ると、僅かながらこの旧東海道を走ります。 ▲鶴見神社前~ 三角 ( みかど ) そのアーケードなどに昭和レトロな雰囲気が残る、レアールつくの商店街の横を通ります。 ▲森永工場前 目の前に森永製菓鶴見工場があり、小枝やハイチュウプレミアムなどを生産しているほか、隣接する森永エンゼルミュージアム(MORIUM)では同社の歴史に触れることができます。 ▲東部病院 この裏手には下末吉公園があり、病院敷地内を1周しながら下末吉公園口バス停を通り、この表側に来る恰好を採っています。市交では同系統のほか、日中帯に7系統も乗り入れます。

【路線バス探訪】横浜市交通局・13系統

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13系統(綱島線)は、鶴見駅西口から三ツ池道を経由し、末吉橋に至る路線として昭和20年に付与された系統番号です。この経路においては、戦前となる昭和9年の時点でバス運行がなされており、横浜大空襲後に焼け残った木炭車を用いて運行を再開した際に、この系統番号が付与されました。 時代が進むにつれ、現在の上末吉、駒岡と段階的に終点を延伸し、昭和33年には更に綱島駅前に延伸します。その後、鶴見駅前発着に改めるとともに駒岡発着は一の瀬発着に延伸され、平成に入り深夜バスの運行を開始。21世紀に入ると新たに新横浜駅前発着や急行便も新設されましたが、急行便は程なくして各停便に改められました。深夜バスにおいても、新型コロナウイルス感染症拡大の影響に伴う乗客減を受け、令和6年に廃止されたのはご承知の通りです。 なお、終点となる綱島駅前のバスターミナルが手狭となっていたこともあり、新綱島駅の開業後に整備されたバス停に令和5年12月に移転。しかし、整備されたのはバスロータリーでなく市道上に設置されたバス停に過ぎず、乗務員休憩用のバス停車枠も無いこと、更に市交ののりばは1バースしか割り当てられなかったこともあり、のりばを共用する59系統と被らないよう配慮したのか、本系統の往路は綱島駅入口止まりとされました。綱島駅東口の再開発で今後運用は変わる可能性も考えられますが、しばらくは不便な状況が続きそうです。 13B  鶴見駅前~末吉橋~一の瀬 13E  鶴見駅前~末吉橋~一の瀬~ 新横浜駅前 13G  鶴見郵便局前←鶴見駅前←一の瀬 (平日2本のみ) 13H  鶴見駅前→末吉橋→一の瀬→綱島駅入口 13I  鶴見駅前←末吉橋←一の瀬←新綱島駅 365A  鶴見駅前→末吉橋→一の瀬 (深夜バスは令和2年4月27日~運休、令和6年4月1日廃止) 営業係数: 91.8 (令和5年度) ▲上末吉~駒岡八幡神社前 末吉大通りと呼ばれる県道鶴見溝ノ口線と、下末吉交差点から合流する同川崎町田線をひたすら直進します。いずれも片側2車線化が完了しており、恵まれた道路環境となっています。 ▲駒岡~一の瀬 当地に30年以上スーパーマーケットを構えるイオン(旧、ジャスコ)駒岡店の横を通ります。 この西側には一の瀬詰所があり、およそ半数の便はここ一の瀬で折り返します。 ▲樽町中央~大綱橋 ラウンドワンなどが入る商業施設(T-P

【路線バス探訪】横浜市交通局・50系統

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50系統(栗田谷線)は、横浜駅西口から栗田谷を経て、再度横浜駅西口に至る循環路線です。遅くとも昭和40年ごろには運行がなされているようですが、正確な運行開始年は調べ切れておりません。同じ経路で外回りの循環運行をする 35系統 の内回り便として、同系統から派生した路線となっています。やはり今日では横浜駅西口~栗田谷~神大寺入口の区間便が中心となっており、循環線は毎時1本程度の運行に落ち着いています。 35系統も含めかつては保土ケ谷が単独で所管していましたが、浅間町との共管になったのち、令和5年のダイヤ改正にて保土ケ谷が外れ浅間町のみの所管となっています。かつて運行した深夜バスは入庫便も兼ねた独自のルートで、行先からもお分かりの通り保土ケ谷による運行でした。 50A  横浜駅西口→栗田谷→神大寺入口→横浜駅西口 50B  横浜駅西口→栗田谷→神大寺入口 362A  横浜駅西口→栗田谷→神大寺入口→浅間下→保土ケ谷車庫前 (深夜バスは令和2年4月27日~運休、令和6年4月1日廃止) 営業係数: 95.5 (令和5年度) ▲松本~栗田谷(その1) この区間で勾配を一気に駆け上がります。 背後の細長い建物は、令和6年に開業したばかりの相鉄ホテルズ ザ・スプラジール横浜で地上43階、約178mの高さを誇ります。 ▲松本~栗田谷(その2) 狭い交差点を器用に左折していきますが、この曲がった先(写真の手前側)に栗田谷バス停があります。 ▲神大寺入口 神大寺入口交差点そばで市営三ツ沢墓地の北側にバスターミナルが設けられており、大半の便はここで折り返し、復路は35系統として運行します。当地には平成24年まで野良ニワトリのコッコちゃんが生息していました。 ▲ 片倉町入口~峰沢入口 ここ新横浜通りは横浜車庫への通り道ということもあり、上の陸橋を含め相鉄バスの往来が非常に多く、市交は毎時1、2本程度と肩身が狭くなっています。 この歩道橋はディーラーが隣接する ホンダカーズ横浜がネーミングライツを取得し、令和5年より HondaCars横浜三ッ沢歩道橋の愛称が付けられています。

【路線バス探訪】横浜市交通局・35、346系統

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35系統(栗田谷線)は、横浜駅西口から栗田谷、三ツ沢を経由して再度横浜駅西口に至る循環路線として昭和36年に開設された系統です。なおこの系統番号は複数回使用されており、直近はかつて横浜駅前~桜木町駅前~大桟橋(現、大さん橋入口)で使用されており、3代目となります。 かつては神大寺交差点を出ると直ぐ先の交差点を左折し、市営三ツ沢墓地の横を通って坂を下り、三ツ沢中町を経由するルートだったようですが、昭和49年に現在の路線となりました。今日では50系統の往路便として、神大寺入口~栗田谷~横浜駅西口の区間便が中心で、1周する循環線は毎時1本程度の運行に落ち着いています。長らく浅間町・保土ケ谷の共管でしたが、令和5年のダイヤ改正で後者は担当を外れ浅間町の単独となりました。 346系統は平成25年の夏に試験運行された急行便で、運行経路を循環線から現在の区間便に改め、翌年3月に本運行に移行しました。松本から先が急行運転区間となり、東横反町駅前には向かわず87系統のルートを走行することでショートカットを図っているのが特徴です。 35E  横浜駅西口→ 神大寺入口→ 栗田谷→鶴屋町3丁目→横浜駅西口 35F  神大寺入口→栗田谷→ 鶴屋町3丁目→ 横浜駅西口 346A  神大寺入口 → 栗田谷→横浜駅西口 (平日朝~日中、土休日日中のみ) 営業係数: 97.6 (令和5年度) ▲三ツ沢総合グランド入口~三ツ沢公園自由広場 三ツ沢公園自由広場は、令和2年まで市民病院入口と名乗っていました。一番左の車線は第三京浜に合流するもので、奥の道路情報板の辺りにかつて運行した95系統専用のバス停がありました。 ▲片倉町入口~中丸 本数が減少する神大寺入口以西も住宅地が続きますが、ここの向かって右手に限っては畑が広がっています。 ▲捜真学院前 当地は神奈川大学横浜キャンパスも程近く、言わば学園町のような様相を持ちます。 なお、当バス停は平成26年まで市営栗田谷アパート前を名乗っていました。 ▲栗田谷~松本 栗田谷交差点を右折すると、見通しの悪いカーブも存在する坂を一気に下ります。 経路が重複する反町~横浜駅西口は、 39系統 も併せてご覧ください。

【路線バス探訪】横浜市交通局・34系統

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34系統(沢渡線)は、横浜駅西口から三ツ沢総合グランド入口を経て三ツ沢(現在の三ツ沢上町駅前〜三ツ沢小学校前に相当)に至る路線として、昭和27年に開設された系統です。 当初は通常の往復路線として運行していましたが、栗田谷方面も経由する横浜駅前〜横浜駅西口(実質的な循環線)とされたのち、昭和38年に現在の時計回りの一方循環に移行しました。翠嵐高校前から先は狭あい路が続きますが、乗客の多さもあって長らく大型車による運行がなされています。令和2年の市民病院の移転に併せ、同院へのアクセス対策として平日日中に限り同バス停に乗り入れるようになりました。 34A  横浜駅西口→沢渡→横浜駅西口 34B  横浜駅西口→市民病院→沢渡→横浜駅西口 (平日日中のみ) 営業係数: 81.6 (令和5年度) ▲浅間下~北軽井沢 Rの小さいS字カーブが続く勾配を駆け上がります。 ▲翠嵐高校前 新横浜通りからそれると本系統の単独区間となり、北軽井沢や沢渡の住宅街を進みます。 ▲翠嵐高校前~沢渡三ツ沢地域ケアプラザ前 翠嵐高校前を出ると下り坂となり、低速なのも相まってQQG-代エルガハイブリッドでは100%モータ走行も行える区間となります。 ▲沢渡三ツ沢地域ケアプラザ前~沢渡 この道路はいざバスが通ると対向車の通行はままならない狭さということもあるのか、6時から22時は東行のみの一方通行とされています。 経路が重複する市民病院は、 88系統 も併せてご覧ください。

【路線バス探訪】横浜市交通局・38系統

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38系統(岸根線)は、横浜駅西口から港北小学校前に至る路線として、昭和34年に開設された系統です。なおこの系統番号は、かつて鶴見駅前~平安町~旭硝子前(現在の汐入町2丁目付近)で使用されており、2代目となります。 開設当初は浅間町が所管しましたが、昭和37年に終点が鶴見駅西口に延伸されると鶴見(初代、現在の港北)に移管されました。その後、更に鶴見駅前発着に延伸されますが、再び鶴見駅西口発着に戻ると六角橋・神大寺経由から三ツ沢グランド・大丸経由に変更されています。平成3年には現在のメイン路線となる荒立・白幡循環が運行を開始。第二京浜のすぐ西側でラケット状に回り、午前が内回り運行をするのに対し、午後は外回り運行となり市交では珍しい体系が採られています。 そのほか、84系統(2代目)を吸収した大口駅前発着や、鶴見駅西口~港北小学校前~松見町4丁目~わたうちだに~鶴見駅西口の循環線も存在しましたが、これらは平成19年の大規模再編成にて廃止。このうち大口駅前発着便の廃止にあたっては激変緩和措置として、他の廃止路線のルートと掛け合わせた290系統を2年間暫定運行。その後は本系統の新子安駅西口・大口駅東口経由便として吸収されました。また、残った横浜駅西口発着においても、大規模再編成で廃止された3・24・96系統(初代)をカバーするため東神奈川駅西口・六角橋経由に改められました。 令和6年には、新子安駅西口・大口駅東口経由便が 84系統(4代目) として独立しました。 38H  横浜駅西口→ 松見町 →東 高校前→白幡→鶴見駅西口 38M  横浜駅西口←鶴屋町3丁目← 松見町 → 東高校前←白幡←鶴見駅西口 38I  東神奈川駅西口~ 松見町 ~ 東高校前~白幡~鶴見駅西口 (平日朝夕のみ) 38K  東神奈川駅西口←松見町 (平日朝1本のみ) 38C  港北小学校前→ 松見町→ 内路→鶴見駅西口 (平日朝1本のみ) 38E  鶴見駅西口→荒立→ 白幡→ 鶴見駅西口 (午前のみ) 38E  鶴見駅西口→ 白幡→ 荒立→鶴見駅西口 (午後のみ) 38F  東寺尾5丁目 (のりば2) → 白幡→荒立→ 鶴見駅西口 (平日朝1本のみ) 営業係数:121.3 (令和5年度) ▲みやだいばし~飯山 上部に架かる橋が由来のみやだいばしバス停は、平成29年まで郵便局前と名乗っていました。漢字では